ブログスタート
社畜節約サラリーマンの
シンさんです。
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自己紹介 学歴 高卒
現在手取り19万(12月の給料)
サラーリーマン29年目(転職なし)
現在 独身(子供部屋おじさん)
趣味は節約、倹約
大好きな福岡でBAR巡り
投資歴16年目の負けない投資家です。
将来の夢は節約、倹約を頑張って投資
超富裕層(5億円)を目指しております。
超富裕層の割合
日本人 全世帯0.16%
目標の理由
目標の理由として社畜サラーリマンでの
毎月給料は「手取り19万」
節約 倹約を頑張って、
誰にもできない目標を達成したい。
人生に目標がないと成長しないし結果も出ない
「仕事と一緒」
世の中給料が安いからと諦めてる方が沢山います。
そんな方のそんな方の励みになりたい。
どんなに給料が安くても諦めない
気持ちがあれば目標は達成します。
挑戦する気持ちは誰にでもできます。
私は実践し結果を出します。
手取り平均額 男性51.8万円 女性26.8万円
男女差はありますね。私の手取り金額は平均以下
45歳~49歳手取り金額 41.5万円
「年齢別」 手取り平均
<45~49歳の平均月収>
- 男女計:498万円÷12カ月=約41万5,000円
- 男性:621万円÷12カ月=約51万8,000円
- 女性:321万円÷12カ月=約26万8,000円
節約、倹約を始めたキッカケ
私の実家は建設会社
「父親は大工さん」棟梁
※棟梁とは大工の親方
子供の頃からお金を見る機会が多く、
金融リテラシーも勉強してきました。
※金融リテラシーとは
お金や経済の仕組みに関する知識
小学生の時は父親も事業を
立ち上げたばかりで
借金に苦労してました。
そんなときも母親の
節約、倹約意識のおかげで借金も返済
節約、倹約を母親から
金融の勉強を学ばせて頂きました。
大工さんイメージ
学生時代
小学校、中学校、高校と
野球をやっていました。
子供の頃の夢はプロ野球選手
高校時代は入学当時は弱小高校でした
高校3年生の時甲子園に出場
補欠でしたがベンチに入っていたので、
甲子園のグランドを走り回りました。
当時の有名人はプロで活躍した
中日ドラゴンズ徳島商業高校出身川上憲伸さん、
日本ハムファイターズ常総学院高出身校金子誠さん
弱小高校が甲子園に出場したことは当時有名でした。
補欠でしたがベンチ入りしたので、
甲子園に出場したことが自慢です。
ターニングポイントは高校時代、ラッキーボーイ
高校時代で頑張りが今に!!!
甲子園に行ける確率は平均で0.5% 東大合格よりも難しい
チャンスは高校時代で獲得
阪神甲子園球場
高校卒業後の人生
1994年高校卒業後は近所の工場で働く事になりました。
本当は父親が大工さんでしたので跡を継ぐ予定でしたが、
バブル崩壊もあって実家の跡を継がず就職
大工さんにならずがポイント
※1991年3月から1993年までの景気後退 就職氷河期世代
勤務地は愛知県、本当は地元の企業に入社しましたが、
仕事が無いため、本社で3年間研修することに
働く工場は社会の教科書にでてきる風景でした。
コンベアーに部品が流れてきて組み立てる仕事
寮生活、2人の相部屋で食費込み、今だと信じられません。
交代勤務でしたので同級生の給料より高かった記憶があります。
※交代勤務とは一週間ごとの二交代勤務 シフト制
メリットは給料が高い
デメリットはきつい
貰った給料でお金は貯め放題でした。倹約の基礎
友達は給料を全額車の改造に使ってました。
1994年はスポーツカー世代、ソアラ、スカイライン、RX-7など
節約、倹約の力はここに
若者の流行には乗らないがポイント
1994年の時代
1994年はバブル崩壊後の経済でした。
高校卒業後に現在の会社に入社、
簡単に就職が決定
同級生で大学進学された方は
就職先もなく就職氷河期世代でした。
大学で勉強するより就職してお金を稼ぎたい。
勉強よりお金を稼ぐことを優先、
人生ターニングポイントです。
投資家ですでしバブルが崩壊せずに続いていたら、
人生がもっと変わったいたかも
初任給は152,000円でした。
他の方より高いほう
1994年高卒の平均150,000円
バブル経済後の入社組は中学卒業の方と給料が同じ
中卒初任給122,000円
基本給が同じで聞いてびっくり
理由はバブル時代は中卒でも昇給が1万円
1万円昇給は1度も無し
3年間で3万円昇給、
高卒の初任給と中卒の基本給が一緒になる
バブル経済を味わえてないことに非常に残念です。
バブルのイメージ
お金が最強
仕事内容
就業時間は朝8時から5時
夜勤9時から翌朝6時までの交代制
仕事内容は20Kgある部品の取り付け作業でした。
3K『きつい』『汚い』『危険』の現場でした。
現在でも人気無し
同期入社は300人いましたが、1年で100人が依願退職
先輩の話だと10年で残る割合は10%未満、過酷な労働の現場
現代流行のブラック企業です。
私も半年毎日20Kgの部品を取り付けていたので、
腰を痛めてしましいました。
同期が辞めるのを見ると辞めたい気持ちになる。
両親に相談しましたが、
バブル崩壊で田舎に仕事もなく猛烈に反対
「体より仕事を優先されたことにショック」そんな時代
腰の痛みが取れる事なく精神的にまいってしまい
退職を上司に相談
バブルで人余りの時代同期は
『はい、お疲れさん』で退職 悲しい時代
私の場合は当時の課長より
辞めるのは簡単だけど俺が異動させてやる
最強の上司現れる。神様みたいな方でした
腰に負担がない部署に異動、腰痛も完治
まさしく人生のターニングポイント
辞めてたら人生どうなってたか?怖すぎます
愛知県でのプライベート
プライベート楽しくない。友達もいない、出会いもない
愛知県は女性が少ない、街中は男ばっかり
出会いも何もありませんでした。悲しい現実!!
遊び場もパチンコ屋しかなく周りの友人はパチンコ三昧
私は節約、倹約を心掛けていたのでパチンコはしませんでした。
工場がギャンブラーが多かった 肉体労働をギャンブルに
休日はDVD鑑賞、ドライブ
本当にお金が掛からない生活をしてました。
節約、倹約の基礎はここに
最後に
20歳まで人生経験が豊富に
・高校時代
・バブル崩壊の世の中
・就職
人生を振り返ると人生の糧がつきました。
節約、倹約の基礎を継続できたのも当時の頑張りが今に繋がっています。
貯金も20代で200万まりました。よくやった!!
社畜サラーリマン生活でしたが人生のターニングポイント何個もあり
就職して29年たちましたが、人生いろいろあります。
負けるな若者、生き抜け未来
苦しい時代を生き抜いていきましょう。
最後までありがとうございました。
人生ハーピーよりで終わらさせて頂きます。
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